- クラインツールについて -
1857 年のアメリカ。ドイツより移住してきた鍛冶屋マシアス・クラインはシカゴの騒々しいダウンタウンの一角に彼の店 をオープンさせました。当時はまだ電気や通信が十分に発達しておらず、電柱には裸のままのワイヤーがぶら下がっていた時代のお話です。
腕の良い職人として 地元で好評を得ていた彼の元へ、一人の通信工事技師が訪れ、ある注文をしました。それはたぶん、彼にとって初めて遭遇する仕事であったことでしょう。壊れたプライヤーの、なんと片方側のみを新たに作ってほしい、というものでした。 彼は最初はとまどいながらも、その工事技師のため、快くこの仕事を引き受けました。丹念に鉄を鍛え、成形し、磨き上げ、そして出来上がったものを元の" 片方だけのプライヤー" とあわせ、リベットを打ち込みました。技師は喜んで、その再生されたプライヤーを持ち帰りました。
そして幾日かが過ぎ、その技師がまた、彼の元へやって来てこう言ったのです。『今度は違う片方が壊れた。また片方だけ作ってほしい。』と。クラインツールの第一号プライヤーはこうしてこの世に誕生したのです。
まもなく、南北戦争が始まりました。皮肉にも戦争は通信の重要性を知らしめるものとなり、その需要は飛躍的に高まっていきます。そして同様にマシアス・クラインの作る頑丈な工具も評判になり、彼の会社は多くの注文を抱え、繁栄していきます。
その後、電力産業の発展、大陸横断鉄道の建設等の需要に後押しされ、彼の会社は成長を続け、クラインのハンドツールはその名を不動のものにしていきました。そしてアメリカの発展とともに様々な産業が生まれ、それらの特殊なニーズを満たす専門工具の開発も要求されるようになりました。クラインツールはそれらに応えるべく、ハイクオリティな工具を開発し続け、今日に至っています。
クラインツールは現在でも、マシアス・クラインの直系の孫達によって運営されており、彼のクラフトマンシップの血は、脈々と受け継がれています。そして、クラインツールの工具はあの第一号プライヤーより140 年以上を経た現在でも、丈夫でハイクオリティな工具として世界中のプロフェッショナル達に認知され、愛用されているのです。